「運動の楽しさを伝えたい」健康運動指導士/竹村亮子さん
ありえないくらい大変だった三つ子の育児と仕事の両立
竹村さん:
最初の妊娠が三つ子だったんです。出産のため当時勤めていたアクアドームは辞めましたが、産後1年も経たないうちに子どもたちを保育園に預けて、個人で仕事を請け負って働きはじめました。
「健康運動指導士」の資格を持っていたこともあり、少しずつ「健康づくりのための運動指導」の仕事を依頼されるようになりました。
三つ子の育児と仕事の両立は大変ではありませんでしたか?
竹村さん:
ありえないくらい大変でした!仕事が終わって保育園に子どもたちを迎えに行ったあとからが特に大変なので、最初はその時間ヘルパーさんを雇っていましたね。
私が子どもたちのお世話をしている間、ヘルパーさんには食事の準備など家のことをお願いしていましたが、なかなかうまくいきませんでした。 同じ頃、アクアドームで働いていた頃に出会ったアルバイトの学生さんが友達を紹介してくれて。
学生さんですか?
竹村さん:
はい。アクアドームで働いていた頃、冗談半分で「三つ子が生まれたら、誰かアルバイトに来てくれるお友達紹介してね」って言ってたんです。そのうちの1人が本当にお友達を紹介してくれて。「交通費くらいしか出せないけど、手伝いに来てもらえる?」って聞いたら「いいですよ」って。
平日保育園が終わってから寝かしつけまでの2〜3時間、学生さんが三つ子のお世話にきてくれることになったんです。
それはすごい!
竹村さん:
私が夕食やお風呂の準備をしている間、子どもたちと遊んでくれる。私がお風呂に入ると、子どもたちをお風呂場まで連れてきてくれる。お風呂上がりのお世話をしてくれる。私が作った夕食を子どもたちに食べさせてくれる。
ヘルパーさんにお願いしていた時とは逆、ですね。
竹村さん:
そうなんです。その方が私には合っていたみたいで。学生さんに子どもたちのお世話をお願いして、私はその間家のことをする。そうやって子どもと離れる時間があった方が私はいいんだと、そのとき気付きました。
ちょっと子どもたちを連れて公園で遊んでくれる、それだけでもすごく助かるんですよね。その後も友達や後輩の紹介を通じて、三つ子が2才半になるまでの約2年半、次から次へとたくさんの方が手伝いにきてくれました。
2年半も!お互いとてもいい関係だったんでしょうね。
竹村さん:
そうですね。手伝いにきてくれていた学生さんは、幼稚園教諭や社会福祉士を目指す方たちだったので、最初は経験を積む意味もあったかもしれませんが、誰かの手を借りたいと困っていた私を「助けたい。サポートしたい」という気持ちでみなさんきてくれていたと思います。
人と人とのつながりに本当に助けられたと感じています。学生さんが当時の育児記録を書き留めてくれたノートがあるのですが、それは今でも私の宝物です。
人と人のつながりに助けられたことで、三つ子の子育てと仕事の両立を乗り越えられたんですね。
竹村さん:
学生さんだけでなく、地域の方にも助けていただきました。当時の私の日記を読み返したら、本当にいろんな方が出てきます。
アクアドームの温水プールに子どもたちを連れていきたいけど、保護者1人につき子どもは2人までしか連れて行けない決まりで。でも、どうしても三つ子と入りたくって。
そのことをユリックスでたまたま出会った方に話したら「一緒に入っていいよ」と言ってくれました。宗像市の自由ヶ丘地区に住んでいる方だったのですが、それから毎週私と子どもたちと一緒にプールに入ってくれました。
町内会の役員がまわってきた時も大変でしたが、引き受けたら知り合いができて。三つ子のことを話したら「大変でしょう」って地域や近所の方にたくさんサポートしていただきました。
現在「健康運動指導士」として活躍している竹村さんの原点を教えてください。
竹村さん:
私は子どもの頃からスポーツが好きで、体育の先生になって運動を教える仕事がしたいと思い大学へ進学しました。そこで「健康づくりのための運動指導」と出会ったことが、私の今の活動へとつながっています。
大学のゼミではじめてリズムダンス(エアロビクス)を学びました。音楽に合わせて楽しみながら体を動かす。楽しいだけじゃなく、血圧が下がったり体重が減ったりして健康づくりにもなる。「こんな運動があるなんて!」と衝撃を受けたことを今でも覚えています。
当時の私は運動とは厳しい練習を重ねて結果を出したり、スキルを磨いたりするものというイメージを持っていましたので、どんどんのめり込んでいきましたね。
竹村さんの”運動”という概念を大きく変えた出会いだったんですね。「健康づくりのための運動指導」のポイントはなんでしょうか。
竹村さん:
ポイントは、自分にとってきついことはしない「ニコニコペース運動」です。
ジョギングだったら、その人がニコニコおしゃべりしながら走ることができるペース。
きつくない。だから楽しい。だから長く続けられる。この出会いをきっかけに、こんな楽しい運動があることをより多くの人に伝えたいと考えるようになりました。
大学卒業後は、埼玉県所沢市にある国立障害者リハビリテーションセンター学院に進学されたんですね。
竹村さん:
はい。私は当時から健常者も障がいのある方も関係なく、一緒に楽しく運動したいと考えていました。ただ、大学で勉強をすればするほど、医療従事者ではない私たちが伝えることができる人はここまで、と線引きを感じるようになって。
ハンディキャップを抱えているから”できない”んじゃなく、その人なりの楽しみ方で”できる”ようにサポートしたい。そこで、さらに知識を深めるために進学する道を選びました。
国立障害者リハビリテーションセンター学院を卒業後は、福岡県で就職されたそうですね。
竹村さん:
はい。県の福祉センター(クローバープラザ/福岡県春日市)や宗像市のアクアドームで障がいのある方をはじめ、様々な年齢層の方へ運動指導を行う仕事に携わりました。現在も週3回は北九州から宗像まで通っています。
受けた恩を返すための活動
北九州市に住み始めたころ、宗像市の市民活動団体で活動されていたそうですね。
竹村さん:
多胎児やハンディキャップのあるお子さんをもつお母さんをサポートする「プリズム」という団体ですね。私自身三つ子の子育てを通じてたくさんの方に助けていただいたので、受けたご恩を何らかの形で返したいという想いもあり、講師として活動していました。
自分の特技や人とのつながりを活かして、講座を開いたり、宗像市と北九州市で映画上映のイベントをしたり。いろいろやりましたね。お母さんが安心して講座やイベントに参加できるよう託児も準備していました。
1人の親に子ども2人までとか、障がいのある子は預けられませんとか託児に条件があると、多胎児やハンディキャップのあるお子さんをもつお母さんはなかなか外に出られない。
だから、私たちは看護師さんや保健師さんを置いたり、つながりのある人を呼んだりして、どんなお子さんでも預かれるように対応していました。団体は解散しましたが、当時のメンバーは今もそれぞれの場所で活動を続けています。
変わらない想い
これまでさまざまな活動を行なってきた竹村さん。今後もさらに活躍の場を広げていきそうですね。
竹村さん:
ベースとなる想いはずっと変わっていません。
「運動の楽しさを伝えたい。たくさんの人にこの気持ちを届けたい」
これからも人との出会い、そしてつながるご縁に感謝しながら、まだ届けられていない人たちに運動の楽しさを伝えていきたいと思います。
プロフィール
竹村 亮子さん
健康運動指導士
熊本県八代市出身。北九州市在住の4児のお母さん。剣道錬士六段。県内各地の市町村で、体を動かす楽しさを幅広い年代に伝えている。短大や専門学校などで非常勤講師としても活動。好きな言葉は「迷ったらGO!」。