生まれも育ちも地島、漁師になって36年目
島のほとんどの世帯が漁業に従事されているということですが、前田さんも地島でずっと漁師をされてきたのでしょうか?
前田さん:
地島生まれ、地島育ち。地島から水産高校に通わせてもらって、高校卒業後18才から漁師です。今年で36年目になるね。
僕は3人兄弟の一番下なんやけど、兄も姉も島を出て就職してたからね。「漁師になれ」と言われたことはなかったけど、地島の家を自分が継がないかんなぁという思いはあったかな。
2015年から漁協やわかめ漁師のみなさんで「地島天然わかめ」のブランド化にも取り組まれているそうですね。
前田さん:
地島のわかめはね、他の地域の漁師さんから言わしても品質がいいとよ。
島の南東の沖合いに「曽根」って呼ばれる玄界灘と響灘の潮がぶつかり合う浅瀬があってね。潮がぶつかり合ってるから常に白波が立ってる。見に行ったらすぐわかる。
ぶつかり合う潮が浅瀬の狭いところを通ろうとするから、ものすごく潮の流れが速い。この浅いところで取れるわかめがいいんよ。
浅瀬で太陽の光をたっぷり浴びて激しい潮にもまれて育ったわかめは、香りや味はもちろん、歯ごたえも抜群よ。
ただ、漁師がそれぞれのやり方で塩蔵加工すると、品質にばらつきが出てくる。
「地島天然わかめ」のブランド化は、塩の割合とか脱水時間の工程をルール化することで品質を統一して、地島わかめの価値を高めることが目的の一つなんよ。
地島の漁師さんはわかめを素潜りで手刈りされているんですよね。
前田さん:
そうよ。船で曽根に出て、鎌を手に素潜りでわかめをとる。潮の流れが早いから命がけよね。少しも油断はできん。
潜ってとるのもまぁ大変やけど、そのあとの塩蔵加工も手かけとるよ。
海でわかめをとる。それから、湯がいたり芯を抜いたり下準備してから塩漬けにする。ブランドわかめの場合は、それから24時間置く。
翌日、今度はわかめを一本一本丁寧にほぐしてから脱水。脱水したものをまた24時間置いて、次の日またほぐして脱水。
ほぐしながら悪いところはないか確認するし、最後袋につめる時も確認する。二重三重どころやない、五重チェックしてから出しとるよ。
そこまで手をかけているからこそ、「地島天然わかめ」の品質の良さと鮮度を保つことができるんですね。
前田さん:
わかめをとりに行くのは2人でできるけど、とってきたわかめを選別したり、塩蔵加工する作業は2人ではできん。
だから、家族総出でしよるところが多いね。わかめ漁の時期になったら、島外から親戚など応援を呼んで加勢してもらいよるところもあるよ。
漁村留学を続けることは、地島小学校を守ること
2003年に「地島校区漁村留学を育てる会(以下、漁村留学を育てる会)」が県内初となる漁村留学制度を開始し、島外の小学生を受け入れ始めたそうですね。
前田さん:
僕が高校を卒業したくらいに、地島小学校の生徒がゼロになるかもって話が出てきたかな。「このままじゃ地島は小学校がなくなるかもしれない」ということで、他県が取り入れていた山村留学制度を地島も取り入れようってことになった。
それから毎年漁村留学生を受け入れていて、今年で18期目ということなんですね。
前田さん:
そう。今年度は18期生を5名受け入れている。子どもたちは泊港のそばにある漁村留学センター「なぎさの家」で、生活全般をサポートする指導員さんと共同生活をおくりながら、地島小学校に通ってるよ。
2011年に前田さんが「漁村留学を育てる会」の会長になったきっかけは?
前田さん:
歴代の会長はずっと地島小学校在校生の保護者がしてくれていました。前会長が辞めるってなった時、その保護者が3人やったかな。
それで、他の保護者はまだお子さんが小さかったし、当時僕は小学校のPTA会長もしてたから、それならPTA会長と「漁村留学を育てる会」の会長を一緒にもたしてもらおうかなと。
それから現在にいたるまでの10年間、ずっと会長として漁村留学生を支えてきたんですね。
前田さん:
僕は9期生から会長になったんやけど、翌年は「10周年記念同窓会」をやったとよ。それが終わったら、今度は留学生が暮らす「なぎさの家」の建て替えの話が出てきて、結局話がまとまるまでに3年くらいかかったかな。
13期生の時に新しいなぎさの家での生活がスタートして、前の家の「お別れ式」もしたし、15周年記念もしたなぁ。
なかなか会長を代わるタイミングがなかったんですね。
前田さん:
いや、代わりたくなかったんでしょうね、僕がね。
10周年の次は20周年でもよかったんですけど、なかなか卒業した子どもたちが地島に来る機会がないでしょ。保護者の方もね。
こうして節目節目にイベントをして、漁村留学の卒業生やその保護者が地島に来る機会をつくるようにしてるんですよ。留学生本人だけじゃなくその家族も地島のファンになってほしいからね。
宗像市に住んでる人でも少ないんですよ、地島に来られる人は。来てもらわんとわからんやろ。地島のいいとこも悪いとこも。
留学をきっかけに地島を知る人が増え、地島ファンが増えることは漁村留学の大きな成果の一つだと思うね。
島の子どもたちと一緒に漁村留学生も通っている地島小学校。島の人たちにとって小学校はどのような存在なのでしょうか。
前田さん:
地島には集落が2つ(「泊地区」と「豊岡地区」)あって、小学校がなかったら交流することがない。
小学校は2つの集落をつなげる大切な場所なんよ。あるのとないのとでは全然違うとよ。
漁村留学も含め、小学校は地島の元気のバロメーターやからね。それがなくなるということは、それだけ島を守る力がなくなってる、島自体が衰退しとるということ。
漁村留学を続けることが、地島小学校を守ることになり、そしてそれが地島を守ることにつながっているんですね。
前田さん:
小学校が無くなったら、漁村留学もないんやから。だから、小学校を無くさんために、今後も漁村留学には力を入れていくし、できる限り続けていく。
漁村留学の子どもたちへの想い
「漁村留学を育てる会」の会長として子どもたちを約10年間見守ってきて、前田さんが子どもたちに対して一番感じることはなんでしょうか?
前田さん:
子どもたちにとっても、1年間親元を離れて暮らす漁村留学は本当にいいと思う。誰でもできることじゃない。気持ちがないとできない。
それだけの覚悟を3年生、4年生、5年生でするとよ。そこには敬意を表さないかんと思う。
1年経ったあとの子どもたちの成長はすごいよ。何かあった時に、ここでの生活は必ず役に立つ。
人生いいことばっかりやないとよ。人間関係で悩むことも挫折することもあるよ。でもその時に「1年間地島で頑張ったよね」って思い出すと思うよ。
一生ものですね。
前田さん:
そう、この経験は一生もの。そういう経験を子どもたちは地島でするんよ。
プロフィール
宗像市地島生まれ。2011年から「地島校区漁村留学を育てる会」の会長として漁村留学生を支援。2015年からは漁協とともに「地島天然わかめ」のブランド化にも取り組んでいる。